なぜ勉強するのか
長らくお休みしてしまいました。申し訳ございません。
では、いきなり本題に入りますね。
「なぜ勉強するのか」
人の数だけ理由がありそうなこの問い。今ここで結論を出します。
ズバリ、課題を解決する力を養うためです。
人は生きている限り、ありとあらゆる課題を解決しなくてはなりません。
学校教育を卒業し、会社に勤めるとなると課題が山のように出てきます。
多くは結果を出すというところにはつながってしまいます。
営業成績にノルマを課される、期日までに企画書を仕上げる、取引先との関係性を構築する、社内での人間関係を良好にする、、、
そのためのスキルを身につける。そのスキルが必要であることに気づく。その気づきを得るためにたくさんのものに触れる、アンテナを張る、、、。
全て課題解決能力です。
学生にはこのような試練は課されません。何もしなくても何も不自由なく過ごせます。
しかし、若いうちからこの課題解決能力を育てておくことで社会に出て活躍できる人間になれるのです。
学生には試練がない分、この能力を養うために程よい課題として、国語や数学といった勉学が課されることとなりました。
よくある学生からの質問で、「将来数学の2次関数なんて使わないのに、なんのために勉強するのか」というのがありますが、今している勉強内容なんて直接役に立たないことなんて分かりきったことです。まあ厳密に言えば、役に立たないことはないのですが、強いて役に立つと言えばその問題の解き方の考え方は役に立つこともあり得るということは補足しておきますが、少し難しいので省略します。
日常生活でも課題解決能力が必要なのではないでしょうか。
お金のこと、友達との関係、恋愛、、全て課題です。
きっちり節約することで、目標の貯金額まで貯金する。親しき中にも礼儀ありをきっちり理解することで友達との関係を良好に保てるか。好きな人とお付き合いするためにどのようにアプローチするのか。
人は課題で山積みです。
その課題を解決する能力を物差しで測ったものが偏差値です。
大企業と呼ばれる会社が、新しい人材としていわゆる有名大学を卒業した人を採用する傾向が強いのはこの点にあります。
高学歴=勉強ができる=課題解決能力高め=仕事ができる
一概には言えないことは百も承知ですが、およその傾向としてこの関係性が成立することは間違っていないように思えます。
つまり、今の子供たちが将来どれだけ社会に出て役に立つ人材なのかを計るために社会が子供たちに「お勉強」という課題を与えているのです。
ここで脱落するということは社会で脱落することと同じ意味を表します。
さらにきつい言い方をすると、「お勉強」くらいできないとお話にならないということです。
こんな程度も出来ないのかというレッテルを貼られ、勝手に社会で役に立たない人材であると判断されてしまいます。社会はお勉強よりも難しい課題で溢れています。
これからはこれらのことも意識した上で勉強に取り組んでみてはどうでしょうか。
意識するポイントは、「課題を解決する力を養う」です。
あくまで私見とはいえ、少し厳しいことを言いましたが少なくとも事実が含まれていることも確かです。少し参考にしてもらえれば十分です。
今日はなぜ勉強するのかという永遠のテーマに答えを出してしまいました。
もう私にはなぜ勉強するのか聞くのはやめてください笑
最後まで読んでいただきありがとうございました。いつも私の独断と偏見にお付き合いいただき感謝しております。
今後とも毎日塾長をよろしくお願いいたします。